20do

ひと

アートと人がつながる場所(前編)のイメージ画像

2018.08.30

インタビュー

アートと人がつながる場所(前編)

See Designing(シー・デザイニング)、shizukart(シズカート)/ 原井静香さん

 宮崎市橘通西1丁目にある、大きくて丸い窓が特徴の可愛らしい建物。このビルの2階にグラフィックデザイナーの原井静香さんが営むアトリエがあります。車や人の流れがこの窓を通して眺められる、この場所ではワークショップが行われたり、様々な人たちが静香さんに会いに足を運んでいます。

 今回、前編ではアーティスト活動を始めたきっかけとグラフィックデザイナーとしての考え方などをお届けします。

See Designing(シー・デザイニング)、shizukart(シズカート)/ 原井静香さん】

宮崎県出身。宮崎県立佐土原高等学校デザイン科、九州産業大学芸術学部デザイン科卒。県内外のデザインやイラストなどを中心に活動。2017 年に宮崎市で行われた、こどもたちと一緒におみこしをつくる『地域対抗こどもアートプロジェクト笑みこし』や若草通で行われたイベント『若草ぱしゃり』の装飾を担当。ワークショップやライブペイントを通して、アートの楽しさや魅力を様々な世代の人たちに伝えています。

学生時代に生まれたアーティスト活動の芽

 アトリエの扉を開けると目の前に広がる沢山の絵は、繊細な鉛筆の線に銀色や金色の絵の具でふわっと彩りをそえています。作品たちは、静香さんの優しさや細やかさが伝わってきて自然と頬がゆるむものばかりです。実はわたしも幼い頃、絵を描くことが好きな子どもでした。でも大人になるにつれて、少しずつ芸術的なものに触れる機会が減り、気がつけば絵を描くことが好きだった頃の気持ちを忘れていました。自分と重ねるなんておこがましいですが、同じ宮崎に生まれて、創作活動をしている静香さんってどんな人なんだろうと、わたしは前のめりになりながら、まっすぐな瞳で話してくれる静香さんの話に聞き入っていました。

 幼い頃から絵を描くことや表現をすることが好きだった静香さんが、本格的にアーティスト活動を始めたのは大学時代でした。高校卒業後に福岡の芸術学部のある大学へと進学。芸術学部ということもあり、大学ではそれぞれが色んな表現方法を使って個性を磨いていたそうです。「大学生になってすぐ学校の課題だけでは、みんなの個性に染まってしまう気がしたんです。何か行動したいと思い、まずはギャラリーに電話して自分の絵を売り込んだり、展示させてくれませんか?と作品を見てもらえる機会を増やしていきました。学生時代は自由に表現をできる期間なので、その時にしかできない表現ができて楽しかったですね」

 

アートに向き合う。デザインに向き合う

 学生時代から常に次を見据えて活動をしてきた静香さん。大学卒業後は宮崎に帰郷し、印刷会社で働き始めます。そこで静香さんは大きな選択と決意をすることに。「就職を機に一旦グラフィックデザイナーとしての技術をしっかり身につけようと思って、アーティスト活動をお休みすることにしました。中途半端な気持ちでは駄目だ、と好きなことを我慢する選択をしたんです」 

 今までずっと大切に磨いてきたアーティスト活動を休み、グラフィックデザイナーという仕事に向き合うことを潔く決意した静香さん。柔らかい雰囲気とは裏腹に、思いは強く芯が通って男前な部分をエピソードから感じます。その強い思いは働き方にもつながっていくのでした。「地元の印刷会社に就職はしましたが、どうしても東京で働いてみたいという気持ちがありました。そんな時、東京事務所を出すというチャンスが巡ってきたんです。この機会を逃したくないと自ら志願し、念願の場所での生活がスタートしました。それからは宮崎と東京、新しくできた福岡の事務所を転々とすることで様々な経験ができ、グラフィックデザイナーの仕事がわかるようになっていきました」

 

もう一度好きなことに素直になる

 印刷会社で働きだして約8年の月日が経ち、東京での生活や仕事にも慣れてきた頃、アーティスト活動を再開するきっかけになることが起こります。「仕事がわかるようになってからは、休みの日に村上隆さんの芸祭に応募したり、東京ビックサイトで行われた作品展に応募するようになりました。その時に作品をつくっていて『あ~自分はこんなに作品を作ることが好きなんだ、こんなに我慢してたんだ』と昔の気持ちや感覚がふと蘇ってきたんです」

 作品づくりを通して、表現することが好きだという気持ちを再確認し、休日の時間を使ってアーティスト活動をスタートさせた静香さん。活動をする中で『shizukart』というアーティスト名が生まれました。「責任を持ってアーティスト活動を再開したくて『shizukart』を商標登録をしました。当時、東京にいたのでアーティスト仲間に相談しながら休みの日は創作活動をする日々はとても楽しくて。やっぱり表現することが好きって改めて気づいたんです」

 

やりたいことが繋がり、仕事になる

 『shizukart』としての活動の幅も広げたいと考えるようになった時、東京から宮崎へ戻るタイミングで、2011年にグラッフィクデザイナーとして独立。学生時代からずっと常に先を見据えて行動をしてきたことは、独立をしても変わりませんでした。仕事の合間に時間ができると『次に自分がやってみたいこと』を作品で表現し、発信することを欠かしませんでした。それはアーティストとして、またはデザイナーとして求められる機会が自然と生まれるきっかけになっていきました。「時間がある時にソフトクリームや鉛筆のオブジェをつくって、友達のお店に飾らせてもらったことがあって。子どもから大人までいろんな人に見てもらってる姿を撮影をしました。その時の様子をみて、子ども向けのワークショップの依頼が増えたり、佐賀県で行われたイベントで、テントにライブペイントをする機会が増えていきました。常に準備をして、いつでも応えられるようにしておきたいんです」

 いろんな縁がつながり、ワークショップやイベントのアイディアを提供する機会が増えていった静香さん。今までのことを振り返って、最後にこう語ってくれました。「作品を通して自分を表現する機会を増やしていると、ありがたいことに周りの人たちが縁をつないでくれることがあります。友達や学校の先生など、今まで自分と関わってきた人たちに、感謝の気持ちを伝えるためにも何か形にできることをこれからも続けていきたいと思っています」

アートと人がつながる場所(後編)へ続きます。