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逆境や困難を原動力に、宮崎から世界のアーティストへ

CULTURE

アーティスト小松 孝英さん

宮崎市を拠点に、世界で活躍する新進気鋭の現代美術家、小松孝英さん。20代のころから、世界10ヵ国での個展開催やアートフェアに出品。国内大手企業とのコラボレーションや国連施設に展示されるなど、錚々たる実績をお持ちです。 今では、絵を描くのみならず、ドキュメンタリー映画の制作や地域プロデュースにも力をいれています。そんな小松さんの裏側に迫りました。

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「好き」を描き、アーティストを目指した日々

自己紹介をお願いいたします!
小松 孝英(こまつ たかひで)延岡市出身、1979年生まれの42歳です。 宮崎市を拠点に、生態系をテーマにしたアート作品を制作しています。
作品の代表的なモチーフは「蝶」。金銀箔を背景に、身近な生物を描き、生態系の今を伝える
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総合化学企業の研究者であった父の転勤で、幼少期は宮崎県や静岡県、岡山県などを転々として過ごしました。幼いころから描いていた絵を仕事にしたいと、福岡県の専門学校九州デザイナー学院を卒業後、アーティストとしてデビューしました。 国内はもちろん、ニューヨークやロンドン、香港やシンガポールなど、世界各国で個展やアートフェアに出品してきました。今は宮崎市を拠点に、世界各国に出品し、足を運ぶというスタイルで活動しています。
地元延岡市にある「かわなか保育園」では、天井へ延岡城藪椿と群蝶図を描いた
なぜ生態系をテーマにされているんですか?
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父の影響で、子どもの頃から昆虫採集が趣味でした。昆虫の色やデザイン、形、全てが好きだったんです。 幼少期を過ごした延岡市の家の前には、ゲンゴロウやタイコウチ、ミズカマキリといった水生昆虫が数多く生息していました。身近だった生物たちは、人工物や外来種の増加により、今や絶滅危惧種となっています。 子どものころとは変わってしまった現状を描きたいと思い、生態系をテーマにしています。
どのようにアーティストになったのですか?
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アーティストになるには、通常「都会のデザイン会社やアート系の企業に入り、独立」というのが一般的です。しかし、私が学校を卒業した2000年代初期は、ちょうど就職氷河期。 就職もできず、路上で絵を並べたり、売り込みに回ったのですがうまくいきませんでした。 まるで落ち武者のように、実家に逃げ帰りました。「絵一本で食べていくのは無理だ」「東京じゃないと無理だ」と散々言われましたね。

世界への第一歩は「SNS」だった

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実家に戻ってからも、アーティストとして世界で活躍するにはどうしたらよいかを常に考えていました。2000年代は、インターネットの普及も進み、世界との距離も縮まっている。 アートの価値も認められているし、舞台は「世界」だと確信していました。
宮崎から世界に、どのようにつながったのでしょうか?
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招待制のSNS「mixi(ミクシィ)」を活用したんです。当時、自分のプロフィールや記事を既読したことを表す「足跡」という機能があったんですが、それを活用しました。
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時間だけはあったので、夜な夜なアート関係者や有力者を調べ、ひたすら足跡をつけるという作業を繰り返しました。興味のある方が自分のページを見に来たら、作品を確認できるよう、自分のwebサイトも作りました。 そして、少しずつ海外とのつながりができ、2006年には上海の展覧会に出品。そして2010年、COP10(国連生物多様性条約締約国会議)で作品が特別展示されることとなりました。
無理だと言われたことを、成し遂げたんですね! 何がモチベーションになったのでしょうか?
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否定の言葉や逆境が、活力になっていました。そんな常識、自分が覆してやる!って思っていましたね。

誇り高き地元へ。新たな価値を創造する

小松さんは、絵を描くだけでなく、 ドキュメンタリー映画の制作や地域プロデュースもされているそうですね!
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宮崎県は他県に比べ、歴史や文化の地位が低く見られがちなんです。実在した偉人のドキュメンタリー映画を通して、改めて宮崎県の持つ価値を創造したいと考えています。 第一弾は、台湾美術界の重鎮・教育者として、台湾美術展覧会を創設するなど振興と近代化に貢献した、宮崎県西都市出身の画家「塩月桃甫(しおつき とうほ)」をテーマに制作しました。
台湾原住民をテーマに描いていた塩月。「自由とはなにか」今の時代だからこそ、感じるものがある  
Amazon Prime Video(アマゾン プライム ビデオ)で視聴可能
制作メンバーは宮崎県内在住者がほとんど。「宮崎発」にこだわっている
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今は、芥川賞候補作を執筆した宮崎市出身の小説家「中村地平(なかむら ちへい)」をテーマに制作しています。 宮崎県立図書館長を長く務めた、中村。山間地を回る移動図書館車『やまびこ』を実現させるなど、地方文化の復興に尽力した活動に光をあてたいと思っています。
制作には、これから約2年ほどかかるという
まず、中村地平の墓に花をたむけた。数多くのメディアが取材に訪れ、各方面からの注目度の高さが伺える
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歴史が浅いと言われる宮崎市も、市制施行から約100年。改めて、価値を見直すときがきています。 私の全ての活動に共通しているのが、新しい価値の創造。若い人たちが、自分たちの地元を誇りに思えるように、動いていきたいですね。

困難や逆境をパワーに変えて

世界をフィールドに活躍する中で、 若いうちにしておくべきことはありますか?
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英語や中国語など、日本語以外の語学を身に着けておくことは大事です!私は通訳に入ってもらっていますが、本意を伝えるのにも、コスト面的にも、自分で話せたらよかったなぁと思いますね。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
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アーティストになりたいと夢を語ったとき、「無理だ」「難しい」「稼げない」って言われることもあると思います。だけど、みんな自分の経験則から言っているだけなんです。 私は今、アーティストっていう夢を実現できたし、生活できている。宮崎市を拠点に、世界を舞台にやれてます。無理って言われれば言われるほど、逆に見返してやるってエネルギーに変換したほうがいいと思いますよ!無理かどうかは、自分が決めるんです。

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