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宮崎から宇宙開発の世界へ。未知なる道へのチャレンジ

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国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 宇宙科学研究所三桝 裕也さん

日本の航空宇宙開発政策を担う、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)。政府全体の宇宙開発利用を技術で支える、中核的実施機関です。宇宙科学研究所に在籍する三桝 裕也さんは、宮崎市のご出身。小惑星の一部を採取し持ち帰る「はやぶさ2プロジェクト」にも参画し、見事成功を収めるなど、活躍されています。どのように宮崎から宇宙開発の世界へチャレンジしたのか。経緯やプロジェクトの詳細を伺いました。

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「もっと外の世界を知りたい」という思いに駆られて

 

自己紹介をお願いいたします!
三桝 裕也(みます ゆうや)宮崎市出身、1983年生まれの39歳です。 小中学校時代は都城市で過ごし、高校は宮崎県立宮崎南高等学校へ進学しました。
幼いころから、宇宙に関わる仕事がしたいという思いがあったのでしょうか?
いえ、小中学生の頃は、ただ漠然と「宇宙って綺麗だな」「不思議だな」と思う程度でした。特別ロケットや人工衛星が好きという強い思いがあったわけではなく、サッカーやゲームが好きな普通の少年で、むしろサッカーに関わる仕事に就きたいなと思っていたほどでした。
そうだったんですね! 宇宙に関する仕事にはいつから興味が出たのですか?
外の世界に関心を持ち出したのは、高校時代でした。海外留学を経験する友人の話を聞くなどし、日本以外の世界が現実味を増していったんです。世界地図を広げ、適当に指を指した場所にも人がいて、生活がある。今ある場所に留まって、何も知らないままに終わる人生はもったいないなと考えるようになりました。 もっと外に飛び出したい、最終的には宇宙にも行ってみたい!と、次第に宇宙への関心も高まっていきました。 そして、進学を考えた際、若田光一宇宙飛行士の活躍を知りました。若田さんは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。これまでに4度の宇宙飛行ミッションを行っている方で、数々の偉業を成し遂げていらっしゃいます。 そんな若田さんと同じ大学に進みたいと思い、九州大学工学部機械航空工学科を受験しました。一浪して、無事希望の学科へ入学。入学後も、まだまだ猛勉強が必要でした。
一般的には、大学1年生は比較的余裕をもって勉学に励むイメージでしたが、 入学後も猛勉強されたんですね!
九州大学工学部機械航空工学科は、2年生から「航空宇宙工学コース」と「機械工学コース」とに分かれるのですが、成績順で希望するコースに行けるんです。 「航空宇宙工学コース」の希望者が大多数なので、必死に勉強しましたね。数学や物理など、高校の延長のような勉強で、宇宙に直結するものでもないですし、結構大変でした。
どのように学ぶモチベーションを維持したのでしょうか?
「航空宇宙工学コースに進む」という目標に向かって頑張ろうという気持ちを持っていました。あとは、ひとつひとつに真剣に向き合うことで次第に理解が進み、その学問自体がおもしろくなってきました。最終的に目標を達成することができましたね。

自ら動き続けて。「はやぶさ2プロジェクト」へ参画

九州大学の学部卒業後は、そのまま大学院へ進学し、宇宙開発に関する研究を続けていました。 修士課程を終え、博士課程のときに、九州大学大学院の研究室から「はやぶさプロジェクト(※)」プロジェクトマネージャーを務めた、宇宙科学研究所の川口淳一郎先生の研究室へ移籍しました。

※小惑星探査機「はやぶさ」は、2010年に、世界で初めて小惑星の物質を持ち帰ることに成功した。

どんなきっかけで、川口先生のもとへ移籍したのでしょうか?

 

学問や研究の従事者らが研究成果を公開発表する「学会」で、宇宙科学研究所の先生方に積極的に話をしていました。そこで、川口先生とともに研究されていた助教とお話したことがきっかけでした。
自ら積極的に働きかけることが大事なんですね。
そうですね。私の後に続いて移籍してきた後輩達も皆、自ら動き調整してきています。そのモチベーションはすごく大事だと思います。
川口先生の研究室ではどんなことをされていたのでしょうか?
移籍時は、世界初のソーラーセイル「イカロス」を作ろうとしているときでした。ソーラーセイル「イカロス」は、エンジンも燃料も必要とせず、太陽の光を浴びて進んでいく、宇宙版ヨットのようなもの。 打ち上げの日までに作り上げるために、宇宙科学研究所の職員と共に、ひたすら研究し続ける日々。実際の宇宙開発の現場を経験している職員だからこその指導もあり、本物の宇宙開発に触れることができました。苦労をしながら作りあげた当時の経験があるからこそ、今の自分があると思います。 2011年に大学院を卒業。ポスドクという期限付き研究者として宇宙航空研究開発機構(JAXA)に入社し、「はやぶさ2」の開発に関わるようになりました。
「はやぶさ2」は、有機物や水のある小惑星(リュウグウ)を探査し、生命誕生の謎を解明するという科学的成果を上げるための初の「実用機」として開発。2020年12月6日に帰還し、見事小惑星の一部を採取し持ち帰ることに成功しました。
「はやぶさ2」ではどんな役割を担っていたのでしょうか?
「航法誘導制御担当」と言って、探査機の姿勢と軌道を修正するための制御を行っていました。 太陽電池で発電させないといけないので、日々どっち向きに動かすかを計算し、調整する必要があります。小惑星リュウグウの近くを移動する際には、宇宙空間ならではの力を考慮しながら遠隔操作していました。
最も難しかったのはどういった点ですか?
圧倒的に、通信にかかる「時間」の問題です。姿勢や軌道の指示は電波で届くのですが、光の速度(30万km/秒)で進みます。1秒で月に到着するくらいです。 小惑星リュウグウは地球からの距離は約3億km。到着までにおよそ20分かかり、指令が届いたことを知らせる信号も、戻るまでにまた20分ほどかかる。往復40分の遅延時間や、地上での計算時間も加味し、60分ほど未来の位置を予測して、指令を作って送信しています。 最後のメインミッションの際には、特に難しかったですね。
プロジェクトが無事に成功できたのはなぜだと思いますか?
「複数人が機能的に結びつき、ひとつの集合体として動けたこと」が成功の秘訣だったと思います。 このプロジェクトは個人では絶対に成し遂げることはできませんでした。プロジェクトメンバーひとりひとりが機能的に繋がり、複数人で一つの集合体として機能できたことが大きかった。 機能的な結びつきは、コミュニケーションでしか生み出せません。互いに尊重し、気遣い合い、時には言いたいことを言うこともあった。だからこそ、成功できたんだと思います。
プロジェクト成功時は、どんな気持ちでしたか?
色々な感情がこみ上げてきました。嬉しいという気持ちもありましたが、一番は安堵感が強かったですね。 未知の環境に対して色んな工夫をこらしてきたけども、100%の自信があるかというとそうではなかった。80〜90%だった部分が、全て大丈夫だったんだって安心しましたね。

勉学とコミュニケーションを大事に。共に宇宙の未来にチャレンジを!

最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
宇宙開発の世界を目指すには、勉強がどうしても必要な要素になります。ぜひ勉学に励んで欲しいですね。また、スポーツや人との関わりも大事にしていただいて、コミュニケーション能力も身につけていただけたらと思います。 宇宙開発という分野は、10年〜20年の時間をかけて開発し、ミッションを達成する世界。世代交代が確実に必要となってきます。今の若い世代の皆さんが、次のミッションをやっていくことになるんです。ぜひ、私が幼少期育った宮崎の地からも、あとに続いて頑張ってほしい。宇宙を目指して宇宙開発の現場にチャレンジする人が増えると嬉しいですね。 宇宙は、幼少期から変わらず、私にとって不思議な世界です。大人になった今も、未だにワクワクさせてくれます。そんなワクワクを楽しめる宇宙開発に、ぜひチャレンジしてみてください。

 

JAXA|宇宙航空研究開発機構 公式ウェブサイト

https://www.jaxa.jp/

 

「はやぶさ2」プロジェクトウェブサイト

https://www.hayabusa2.jaxa.jp/


 

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